自分の価値。
私なんて、生きてる価値のない人間だ・・・・
と落ち込んだ経験・・・ 幾度もあります💦
特に、思春期の頃は、こじらせたなぁ・・・+_+
でも、ある日、気付いたのです。
私の「価値」を決めるのは私じゃない・・・って。
(今日の佐々木俊尚さんのVoicyも、自分の「価値」について語っていらっしゃいましたが、私とは切り口の違う考え方で、ほ~!・・・と思いました。)
今日は、私が気付いた「自分の価値」について、記しておこうと思います。
先日のブログでご紹介した、飛行機の荷物棚にスーツケースを上げようとしていた女の子を、
白髪の男性が手助けしたエピソード・・・
もし、あの男性が「あの日あの時あの場所にいなかったら」、
女の子の心の中には、「今日は散々だったなぁ・・・+_+」という記憶が残されたかも知れません。
でも、実際は、「あの日あの時あの場所にいた」男性のおかげで、
「ぎりぎり飛行機にも間に合ったし、荷物も親切なおじさんが棚に上げてくれたし、良かった~」という日になったはず。
女の子の心の中に、「親切なおじさん」は、「感謝すべき優しい人」として、きっとずっと残り続けるでしょう。
あの男性が、自分で自分をどう評価しているかは関係なく、
女の子にとっては、
そして、こうして、二度もブログ記事にしている私にとっても、
男性は、「あの日あの時あの場所にいてくれた」「素敵な人」です。
もうお一人、やはりブログに登場していただいた「ヒーロー」。
偶然通りかかって、迷惑駐車していたバイクを、ひょいと動かし、私の車庫入れを助けて下さった年配の男性も、
私にとって、「あの日あの時あの場所にいてくれたこと」を感謝して止まない「素敵な人」です。
他にも、
猛暑の電車内で隣同士になった私に、
「暑いね・・・」と、扇子の風を半分送ってくれた老婦人や、
当時2歳だった三女がいつの間にか(!)脱いでいた靴の片方を手に、
息を切らして走って届けて下さった紳士など、
「その日その時その場所にいてくれたこと」を、何年経っても、忘れることのできない人達がいます。
だから、人は、「その日その時その場所」で、
もし誰かの役に立つことができたなら、
誰かの心の中に、「価値ある人」として留まり続けることができる・・・・
そのことに気づいた瞬間、
目の前が晴れ渡りました。笑
「情けは人の為ならず」の諺は、こういうことだったんだ!と思いました。
自分が誰かにかけた「情け」は、全て、自分のあずかり知らぬところで、
「自分の徳」として、積まれているのです。
以前、あるギタリストのかたが、
「世の中には、僕よりずっと上手くギターが弾ける人、才能豊かな人が、数えきれないほどいるのに、僕がギターを弾き続ける価値があるだろうか?」
と悩んだ時期があったけれど、
ある日ステージに立ったとき、
どんな才能あるギタリストも、「今、ここ」に駆け付けることはできない。
だから、「今、ここ」で、ステージを楽しみにしている人達のために、演奏できるギタリストは僕だけだ。
だから、「今、ここ」では、僕は、最高に価値のあるギタリストなのだ・・・
と気付けた・・というお話をされていて、
私の気付きを共有していただいたような気持ちになりました。
そうなんですよね・・・
自分の価値って、「時と場所を共有する人達」からの評価に集約されるのです。
さっき、飲み残した白ワインを固めたゼリーを食べようと思って、
冷蔵庫を開けたら、蜜柑もあったので、蜜柑も入れて、
もう少し彩りと香りが欲しいな・・と思って、ミントも入れてみました。
そうしたら、彩りに加えて、フレッシュな香りがプラスされて、とっても美味しいデザートになりました。
こういう時、抜群の働きをしてくれるミント・・・本当にありがたいです♪
で、改めて考えると、ミントは、「自分の価値は・・・」なんて考えたこともなくて^^;、
ミントの価値を知ってるのは、それを使う人間=この私です。
つまり、人間以外のものは、「自分の価値」を値踏みして悩む・・・なんてこととは無縁で、
自分の価値は、全て他に委ねているわけです。
もし、「自分に生きてる価値なんてあるんだろうか・・・」とネガティブな波にのまれそうになったら、
そもそも「自分の価値」は自分では決められるもんじゃなかった!と、ミントのことを思い出して^^
時と場所を共有している誰かのために、今、自分にやれること、あるかな・・?って周りを見回してみて下さいね♪
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