親切な人になります。

親切な人になります。









少し長い文章なのですが、
自分自身の備忘録のためにも記しておこうと思います。




ぼくは「愛は負けても、親切は勝つ」ということばを好きな人が、好きだ。
疑いもなく愛を語る人よりも、実は、こっちが好きだ。

愛はすばらしいものだ、とぼくも思っているし、思いたい。
しかし、愛はいつでも足りなかったり余ったり、
見つからなかったり失ったりひっくり返ったりする。

しょうがない、愛とはおそらく神様から与えられた身に余る贈り物なのだから、
人の思うようにはならない。
あんなに愛し愛されたはずなのに、という思いも、
愛がゆえに滅びていったなにかも、あちこちで見かける。

愛と比べるのもスミマセンなのだが、
「親切」は神様からもらったものでもないし、美しい天然自然のものでもない。

たかが人間が、ひょっとしたら気まぐれで、
なにかの事情でしょうがなくしているものかもしれない。
つい「親切」にするという、そんなクセだってありそうだ。

「親切」は安く見られがちな人造宝石だ。
愛に対しては「買えないし、返すことさえできない」というほどの大きさが語られたりするが、
「親切」は、「ありがとう」の一言でも十分に返礼になる。
その大きからぬ「親切」をしたほうの人も、あんまり丁寧すぎるお礼などされたら、かえって困る。

悲しんでいる人に、愛に満ちたことばをかけることはできなくても、
ティシューを一枚あげることは簡単だ。

その簡単が「親切」のいいところで、気軽に手が出せる。
ときには、ただの「愛想笑い」だって「親切」になるし、要らないと言われたら「ごめん」というだけでいい。
そうだなぁ、なんというか「親切」は人間のものだから、
人間がいるうちは、つい生まれてきちゃうんだろうね。

いままで、ぼくに「親切」をくれた人たち、ありがとうね。


「ほぼ日刊イトイ新聞」より抜粋






ゴールデンウィークに四国を旅行した際、

途中立ち寄ったサービスエリアが想像通りの^^;混雑で、



冷房が効いた店内に入るのはあきらめて、
戸外のブースでソフトクリームを買って、(すぐ溶けちゃうほど気温の高い日だったので)
その場で食べ始めたら、

傍らに1脚置いてあったベンチに座っていた女性が、女性の隣に座っていた中学生男子に、

「ちょっと詰めて詰めて。 ほら、詰めたら、お二人座ってもらえるでしょう?」

と、声を発して下さって、



ゆったりな感覚で座ってた男の子二人が、
『はい。』っていう感じで(笑)、キュっと詰めてくれて、
夫と私は、座ってソフトクリームを食べることができました。



すっごく嬉しかったです。
事象としては、「ちょっと座りなおしてくれた・・」っていうそれだけのことだけど、
その事象に比べて、嬉しさの効果率がめちゃめちゃ高かったです。笑



気付かないふりだってできるのに、号令かけるみたいに^^、声を発してくださった女性も、
『あ、気付かずにすみません・・』っていう感じで、キュっと詰めてくれた男の子たちも、
優しいなぁ・・親切だなぁ・・と思って。



そのあとも、嬉しい余韻を引きずって、「良い旅だなぁ・・♪」ってしみじみしてました^^




「親切」って、行った行為以上の、あったかなものを、相手に手渡せる行いで、
(糸井さんに指摘されて気づきましたけど、)「人ならではの行い」なのですよね♪



つまり、「親切」は、私達人間だけが使える幸せツール。
この歳になって、ようやく、「親切」の本質を知りました^^;




私に今まで「親切」を下さった皆様、ありがとうございます♪
私も今日から親切な人になります!^^



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