「理想」が邪魔をする。
先日、私と母との関係をブログに綴ったことで、たくさんのメールを頂戴しました。
(まだ全てにお返事できていません。今しばらくお待ち下さい。申し訳ありません。)
一つ一つ読ませていただき、
私も含め、みんな、
自分で描いた「理想の母娘像」と、リアルな自分の状況のギャップに苦しんでいるのではないか・・・
ということに気づきました。
そして、私自身の脳内にある「理想の母娘像」って、いったい誰をモデルにしてるんだろう?って考えたら、
幼い頃、見かけた 近所の女の子がお母さんに甘える様子だったり、
テレビコマーシャルで目にする仲良し母娘の会話だったり、
あるいはアニメに描かれた団欒風景だったり、
・・・と、とっても曖昧な、一瞬だけ切り抜いた場面を、自分勝手に膨らませたものだ・・・と思い当たりました。
これは、母娘関係だけに限らず、夫婦関係も、姉妹関係も、友人関係もそうですが、
常に、目の前にぶらさがって見える「理想像」に憧れ、
そうじゃない現実を憂いてしまいがちですけれど、
ならば、そういう「理想のかたち」を実現している人達、いるんだろうか?
と、改めて実例を思い起こそうとしても、????と、浮かんできません^^;
少なくとも、私の周囲の人たちは、それぞれの人間関係を、
良い時もあれば、そうでもない時もある・・・と、期待したり、あきらめたりしながら、
時には疲弊したり、投げ出しそうになったりしながらも、
「繋がり続ける」限り、慈しんでいこうと努力を重ねているように見えます。
それは、決して「理想のかたち」ではないかも知れないけれど、
私には、いろーんなバージョンの「優しいかたち」に思えます。
妹が「ローソンのカフェラテが一番美味しい」と言うから、ローソンに行くとカフェラテを買うし、いつもその妹の言葉を思い出すんだけど、愛情というのはそういうものではないかと思うことがある
相手の言葉を信じて、自分の生活の中に溶け込ませるというか
(TLに流れて来た「メンチ_新刊通販中」さんのツイートです。)
このツイートを読んで、「そういうことだよなぁ・・・」と、胸が熱くなりました。
愛情って、「理想のかたち」を目指すようなものではなくて、
無意識のうちに、いつの間にか、自分の生活に溶け込んでいて、
「そこにある」のに、見つけにくいものなのだと思うのです。
だから、「理想の母娘」も、「理想の夫婦」も、クソくらえ!(←すみません💦お下品です💦)
そんなもの、邪魔なだけです♪
・・・昨夜は、おでん解禁でした^^
我が家のおでんは、生姜とネギをたっぷり入れた鶏団子と、大根があれば成立します♪
卵も、蒟蒻も、車麩もないけど、
おでんも、愛情も、「人それぞれ」で、いーのだ^^
サイドディッシュは、鯛のお刺身と、生姜の佃煮でした。
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