ありがたい若さ。

ありがたい若さ。













【廃用症候群】

廃用症候群とは、安静状態が長期に渡って続く事によって起こる、さまざまな心身の機能低下等を指す。
生活不活発病とも呼ばれる。
特に病床で寝たきり状態でいることによって起こる症状が多い。
また、寝たきりや行き過ぎた安静状態が長く続くことによって起こる筋肉や関節などが萎縮することを廃用性萎縮という。





人の体も、使わずにいると、
「あ、不要なのだな・・廃棄しちゃって良い機能なのだな・・」と、判断されてしまう・・
という自然のルールを背負って、私達は生きています。





だから、
「筋肉を衰えさせない」ことは、「健康寿命を延ばす」ためには不可欠です。







母は歩くことが嫌いで、どこへ行くにも自家用車を使い、公共の交通機関を利用することは稀でした。

そのため、50代で膝関節を悪くし、70代での転倒をきっかけに人工骨頭を入れ、杖を使って歩行するようになりました。



自分の足で歩くことが制限されるようになると、ますます「自分で動く」ことを億劫がるようになり、活動の幅が狭まりました。





元気なころは、山歩きを趣味にしていた私に、
「あなたは歩くのが好きよね。私は楽なのが一番。」
と、あきれた風に言っていた母ですが、




杖を突くようになってから、一度だけ、
「私も、若い頃から、もう少し運動をしてればよかった。」
と、後悔の言葉を口にしたことがありました。




母と、酸素ボンベなしで、最後に旅行した際の夕焼け。









現在、呼吸器に問題を持つ母は、倦怠感も強く、また食べれていないこともあり、
座位をとることが難しくなってきています。



何をするにも、「このままベッドに寝てる方が楽だから。」と、起き上がることを嫌がります。





私の中に、いつも葛藤があります。
あの日、気の強い母が、「もう少し運動をしていればよかった・・」と漏らした言葉を思い出すたび、


「つらいよね、でも、ちょっとだけ座ってみよう。」
と、ベッドから起き上がることをすすめようとする自分と、


きつい思いをして、頑張ったとしても、「現状維持」が上限で、回復することはないのだから・・と、無理をさせたくない自分との葛藤です。





そこで、今は、
「座ってみよう。座ると、身体を支える筋肉が力をつけてくれるよ。」
と、一度は声掛けし、

それでも拒否された時には、それ以上の無理強いはしないことにしています。




正直、徐々に、母の体が【廃用】物になっていく・・・という現実はつらく、
この先を考えるだけで、気が滅入ってしまうこともあります。






昨日、家族LINEに、私と入れ違いに、1月2日から母に付き添ってくれた次女から、

「これからも、みんなでママ(←私の母、娘たちにとっては祖母ですが、母の希望でこう呼んでいます。)の最後を楽しく、心の底から幸せに支えたいから、よろしくお願いします!」

と、新年の挨拶が届きました。(今日から7日までは、三女が付き添ってくれます。)




私の判断では偏ってしまったり、シニア世代の私にはネガティブに映ってしまうことを、
娘たちが放つ若いエネルギーが、「そうじゃない!そっち行っちゃダメ!」と、軌道修正してくれている気がします。




「誰かの力不足だとか、誰かのせいとか、そういうことじゃなくて、
今、起こっている【こと】、問題となってる【こと】だけにフォーカスして、そこを解決して行こう!」
という決意表明のような^^掛け声にも、気合いを入れてもらいました。




どうしようもないことを憂うのではなくて、どうにかできることを、【楽しみながら、持てる力で】どうにかしていく2023年にしようと思います。



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