お門違い

6月6日
昨日の夕焼けも、涼やかで綺麗だった。


マンションの花壇の山椒の葉が、
そばを通るとツーンと香るほど見事に茂っている。
食欲をそそられて^^;、今夜はブリと春牛蒡を炊いて、山椒の葉を添えて食べることにした♪

作家の 吉本ばななさん が、闘病中のお姉さま(漫画家のハルノ 宵子さん)の治療費にあてるために執筆された note の有料記事を読んだ。
亡くなられたご両親(評論家の吉本隆明さんと俳人の吉本和子さん)を含め、
ばななさんの幼少期から現在までのご家族との関係が赤裸々に綴られていた。
私の中には、
著書や、糸井重里さんとの対談記事や、コラムを通じて「偉大なる吉本隆明さん像」が構築されていたし、
ハルノ宵子さんについても、ご本人が発信されていた近況報告風のイラストや、「ほぼ日」での連載記事で、個性的でポジティブなライフスタイルを垣間見せていただき、憧れの気持ちを抱いていた。
だから、それらの「晴れ舞台」の陰を描くスピンオフのような ばななさんの有料記事を読んで、正直ショックだった。
でも、同時に、改めて、一人一人自分の人生を歩く私たちには、「それぞれの物語がある」のだと思った。
吉本隆明さんの目に見えていた家族像、
吉本和子さんが守りたかった家族像、
ハルノ宵子さんが慈しんだ家族像、
ばななさんにとっての家族像。
パラレルワールドのように、吉本家には同時に進行する4つの家族像があったのだろう。
そして、ばななさんが魂の叫びのように記してくださった家族の記録は、
それぞれの家庭が、それぞれの形で内包している「外から見てもわからない、家族ならではの葛藤や軋轢」の一例だ。
知的で、素敵で、なんの悩みも心配もない家族なんてきっとない。
家族だけじゃなくて、そんな夢みたいに幸せな人生なんてない。
外からは伺い知れない「私だけが抱えているもの」を、一人一人みな持っているのだ。
だから、「一個人としての他人の生き方」を自分勝手に批評したり批判することは、お門違いも甚だしい。
ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
↓
にほんブログ村