みんな子供だった。
昨夕、急遽思い立って、ネットでチケットを予約して、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を観てきました。
これから観賞予定のかたも多くいらっしゃるかと思いますので、
具体的な感想は控えますが、
とても考えさせられましたし、
映画の題名にもなっている吉野源三郎さんの小説『君たちはどう生きるか』の中で、
主人公コペル君の叔父さんがノートに記した
自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、
それとも、
自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、
この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。
世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ。
という言葉が、テーマの一つになっているように思いました。
私達は「主観」を持つ限り、
自分を常に世界の中心に据えてしまうわけですけれど、
それは、とても大切なことである一方、とても危険なことでもある・・・
と、宮崎監督に警鐘を鳴らしていただいた気がしています。
テーマからは外れるのですが、
母親を亡くした主人公の男の子が、不思議な巡り合わせによって、
少女時代の母親に出会うシーンがあります。
病に伏せ、入院したまま亡くなった母親は、才気煥発な少女の姿で、少年の前に現れます。
そのシーンを観ていて、「私の父や母は、どんな子供時代を送ったんだろう・・・」と、
自分が知らない幼い頃の両親に会ってみたい・・と思いました。
戦争という悲しい時代が重なったことが理由なのだと思うのですが、
父からも母からも、「楽しかった子供時代の想い出話」を聞いた記憶がありません。
でも、必ず、いっぱい笑った日があったはずだし、ずっと心に残るエピソードがあったはず。
映画館からの帰り道は、
近くの港であがった花火を見た帰りの家族連れや若者でいっぱいでした。
お父さん、お母さんに手を引かれて歩く幼児に、
「父と母も、こんな風によちよち歩いてた頃があったんだ・・」と思い、
楽しそうに笑い合ってるティーンエイジャーたちの群れ(?笑)を見て、
「父と母も、こんな風に、友達と過ごした頃があったんだ・・」と思い、
私が生まれるずっと前から、私が知らない二人それぞれの、かけがえのない毎日があったのだ・・という、すごく当たり前のことを、昨日、初めて実感しました。
生前、両親に「ね、子供時代の楽しかったこと聞かせて。」と、言えなかったことが、悔やまれてなりません。
父も母も、
セッションで時折お会いするおじいちゃまも、
昨日、映画館で隣どうしの席になったおばあちゃまも(「まぁ!」とか「あらら」とか、シーンごとに呟かれる独り言がツボにはまって困りました。笑)、
マンションのお隣の奥様も、
あなたも、
私も(!^^;)
みんな揃って、かつては子供だったのですよね・・
よちよち歩いて「危ないよ・・」って親に手を引かれたり、
友達とふざけて、先生に注意されたりしていた子供だった。
そう思うと、
年輪を重ねた(?^^;)面差しの向こうに、幼い面影が浮かび上がってきそうで、
人を、いっそう愛しく感じます。
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