カンチを見ていたリカちゃん。
こちらに越してきてお友達になったY子さんのお宅にお邪魔しました。
ご主人、ご両親を看取られた後は、お一人で暮らしていらっしゃるのですが、
広いお庭は、手入れが行き届いていて、
「私一人で眺めてるの、もったいないなぁ・・って、思うのよ。母屋も使ってるのは一部分で、なんとかしなきゃ・・と、わかってるんだけど、でも、手放す決心もつかなくて・・」
とおっしゃるお気持ちに、『そうだよね、【想い】があるものね・・』と、心の中で呟きながら、うんうん・・と相槌を打ちました。
ロジカルに考えると、解決法はわかってるんだけど、でも、自分の【想い】がついていかないってことがあって、
だけど、よくよく考えてみたら、一番に慮るべきものって、【想い】なのだろうと、65年生きてきた結果、今の私は思っています。
目に見える行動や結果は同じでも、
そこにある【想い】のあるなしで、全く別の印象に感じられる、、、
母が亡くなった後、生前母が親しくしていた友人のMさんを訪ね、お話を伺ったことがありました。
「お父様が亡くなられた後、○○ちゃん(←私です)が、お母様に同居しようって、言ったことあったでしょう? あの頃はまだ△△君(←弟です)は独身で・・・
あの時、お母様はすごく悩まれていたのよ。でも、私が止めた。一緒に歳取っていきましょう、って。それから何十年も、本当に仲良く過ごせて楽しかった。」
と言っていただいて、私の中の母の記憶が、一つ形を変えて、すとん・・・と収まりました。
当時、同居を提案した私に、母は、
「あなたは私に子守りだけして過ごさせるつもり?私はやりたいことがいっぱいあるの。」
と、ケンモホロロな返事をしたのです。
私はけっこうショックで💦、
最愛の父を亡くした母にとって、私や、私の娘たちが傍らに寄り添うことは、なんの助力にもならないのかなぁ・・・と、寂しい気持ちになりました。
でも、今ならわかります。
あの時、母がケンモホロロだったのは、私にそれ以上心配をさせたくないっていう【想い】があったから。
だから、一緒に歳を重ねていこう・・と言ってくれる仲間の後押しで、人生の次のフェーズを歩いて行こうって、決心したのだと思います。
あの日、母に同居を拒否されたことで、「自分は母親から必要とされていない人間だ」という擦り込みが、私の中にできていました。
それを拭うのは大変で、
母が生きている間は、ずっと、負い目のように、抱え続けていました。
でも、母の【想い】に気付けたことで、
母と過ごした最期の日々の母の言葉や表情の全てを、まっすぐに、素直に、受け留めなおすことができました。
まるで、オセロの黒石が、パタパタパタパタっと白石に変わったみたいでした。
自分の【想い】が外には洩れないのと同様に、
自分以外の全ての人達の【想い】も、自分はわかっているわけじゃなくて、
かつての母のように、時に人は、あえて【想い】を悟られないよう演技することさえあるから、
いったいそこには、どういう【想い】があるのだろう・・って、見極めようとすることは、
本当に難しいことだと思います。
と、ここまで記して、ふっと「東京ラブストーリー」を思い出しました^^;
家電や会社の電話が一番の連絡手段だった時代には、
恋人たちの【想い】って、びっくりするくらいすれ違っていましたよね💦
カンチの気持ちがわからなくて、でも、最後までわかろうとしていたリカちゃんのように、
私も、大切に思う人達の【想い】を感じようと努力する人であり続けたいと思います。
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