人間力

5月29日
昨日は、弟の命日で、弟の幼馴染の〇〇ちゃんに同行してもらってお墓参りした。
天気は下り坂で、道中の車窓から眺めた海もどんよりとした灰色だったけれど、

墓地に着くころには、雲間からお日様が顔を出してくれた。


お墓参りしてくれた〇〇ちゃんと、記念に写真を撮った。
弟は写っていないけれど、照れくさそうに笑って、そこにいる気がした。
高校生の時、沖縄旅行をした際に、
沖縄の墓地を見学して、沖縄では、「清明祭(シーミー)」や「十六日祭(ジュウルクニチー)」といった、
「ご先祖様と一緒に食事を楽しむ習慣」があることを知った。
お墓の前に、料理やお酒を広げて、飲んだり食べたりしながら半日を過ごす・・・
当時高校生だった私は、「お墓で宴会するの?💦」と、ちょっとびっくりしたけれど、
両親も弟も見送った今は、
すごく良い習慣だなぁ♪と思う。
ピクニックに行くみたいに、ビニールシートと軽食と飲みものを携えて、
故人を偲ぶ人達でまーるく輪になって、故人の思い出を語りながら、飲んだり食べたり、笑ったり泣いたりして半日過ごしてみたい。
今日の昼食は、ひまわりみたいな形のパティパン・スクワッシュ(かぼちゃの仲間)とシラスのペペロンチーノ。
パティワン・スクワッシュをカットしたら、ハートみたいな形になって可愛かった♡

夫の分を取り分けてテーブルに運び、
キッチンカウンターに載せていた自分用のパスタを運ぼうとした時、
「ちゃんと持ったはずなのに💦」お皿が落下し、パスタが床に散らばった💦
お皿が無事だったことが救いだったけれど、
かなりショックだった+_+
最近、こういう、「自分ではしてるつもり」なのに「できてない」ことが、よくある💦
力の入れ加減とか、距離の測り方とか(「ぶつけるはずないのに💦」距離感を間違えて足の指を家具の角でぶつける💦)が鈍ってる+_+
「歳をとる」ことの定義のなかに、こういうことも含まれるのだろう。
今朝読んだ古賀史健さんの note に、
映画を観ることも、音楽を聴くことも、舞台を観ることも、ラーメンを食べることも、やわらかな犬のおなかを撫でることも、AIにはできない。
あんなに知ってるくせに、知らないんだ、ほんとうのこれを。
と記されていて、
高校生の時の私と、67歳になった私で、
死やお墓に対するイメージが変わったり、
自分の運動能力や感覚が衰えていったりする実感を持てるのは、
人間だからこそ・・・なのだなぁ・・・と感慨深かった。
この先の、締めくくりの歳月は、
良くも悪くも、
そういう、人間だからこそ・・・な部分が幅を広げていくのだろう。
「知ってるよ」っていう知識の多さより、「人間力」がモノをいう世代が人生最後に控えているのだろうと思う。
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