終わってほしくなかった

7月14日
真夏日が続いている。
昨夜は、我が家の夏の鍋料理・・・トマトとクレソン入りのすき焼きを食べた。


定番のすき焼きと違うのは、しらたきを入れないことと、甘さ控えめにして、
濃い口醤油に薄口醤油を混ぜて調味すること。
火を止める1分前に、トマトとクレソンを載せ、トマトとクレソンが半生くらいの状態で火を止めて完成。
それにしても、7月半ばでこの暑さ💦・・・
私が小学校低学年の頃の夏休みに、従妹と一緒に曾祖母宅に預けられたことがある。
日中は扇風機一台で涼み、
夜眠る時には、窓を開け、蚊取り線香を焚いて、蚊帳をつるして寝た。
それでも、暑さに辟易したり、暑さで寝苦しくなることはなかった。
あの頃の「夏の暑さ」が懐かしい+_+
夏休みはたのしいものだとされる。
プールも、おばあちゃん家も、セミやカブトムシも、もちろんたのしい。
けれど子どもたちは、小学生にもなれば、そのたのしさが時限的なものであることを知っている。
いつまでも続かないことを知っている。
だから、どんなにきゃあきゃあ遊んでいても、どこかさみしい。
否応のない「おわり」としてやってくる夕方や夜は、やってられないくらいさみしい。
あっという間に消えてしまう花火なんて、さみしさのかたまりだ。ただし、猛暑日の超熱帯夜、だらだら汗をかきながらの花火にさみしさはすくない気がする。
それは情緒の欠落というより、「終わってほしくないもの」として夏が存在していないからだ。
暑ぃ、早く家に帰りてぇ、秋よ来い、と思っているときの花火はたぶん、ちっともさみしくない。
~~~古賀史健さんのnote「夏が大好きだったあのころの、忘れはじめたさみしさを」より抜粋~~~
曾祖母宅で過ごした夏休みを筆頭に、子供の頃は、夏はぶっちぎりで楽しい季節だった。
麦わら帽子を被っていれば自転車で駆け回れたし、日陰なんか探さなくても遊んでいられた。
夏には私の誕生日もあって、
古賀さんが記していらっしゃるように、「夏が過ぎる」ことは、とてつもなく寂しいことだった。
(「小さい秋見つけた」の歌を聴くとゾッとしたのを覚えている^^; 季節が秋にとって代わられるのが怖かったのだ。)
でも、夏が大好きな私でさえ、
近年の猛暑と熱帯夜には音を上げそうになる><
今、現役の子供たちが抱いている夏のイメージは、火傷しそうな日差しを伴う猛暑の日中と、エアコンなしでは眠れない熱帯夜なのだと思うと、切なくなる。
楽しさがギューギューに詰まった季節の終わりを予感して、寂しくて、
「終わらないで><」と願った夏は、
今はもう、私たちの記憶の中にのみ存在している。
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