愛することは難しい。

愛することは難しい。










農学博士の篠原信さんが、
子供の頃に飼っていた猫についてのエピソードを note に記していらして、
とても考えさせられました。



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私は概して冷たい人間だと思う。子どもの頃、家にネコがいたのだが、ろくに世話をしなかった。
それに対して弟は、お小遣いで猫缶買ってきたり、抱いたり撫でてやったりと、実によく可愛がっていた。
愛情は間違いなく弟の方が上だった。なのにそのネコの場合、なぜか私になついた。


不思議に思って改めて弟の様子を観察すると、ネコが喜ぶ顔を見たくて、帰ってきたらすぐに猫缶食べさせようと、寝ているのを抱き起こして「さあ食べろ」。
押し入れの奥に逃げて寝てるのを引っ張り出して抱いたりなでたり。


それに対して私は。
大して愛情感じてないから撫でもしない。抱きもしない。エサもやらない。
ただし、腹が減ったと鳴いて近づいてきたら仕方なくエサを上げた。
撫でてほしいと近づいてきたら仕方なく撫でてやった。
膝に乗ってきたら仕方なくそのままにしておいた。
ネコが望んだときにしかやらないでいたら、なついた。


明らかに愛情がある弟より、愛情が薄い私にネコがなついた皮肉。
「愛情」とは何か、をうんぬんするよりも、ネコにとってどうだったのかを分析した方がよいのかもしれない。
たぶん、ネコは自分の感情や状況をきちんと把握し、それに応じた対応をしてほしかったのだのだろう。
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「あなたのことを思って、誠心誠意尽くしているのに・・・!」
と、相手に伝わらない愛情を嘆くことになる原因は、きっとこれ・・ですよね💦




昨日、母と電話で話していて、
「もういいわ。」と、切電されてしまいました。



新型コロナウイルスによる隔離の前には、
連れだって散歩したり、時には外食したりしながら、いろいろな話をしていたけれど、


この頃は、酸素吸入をしている母の息があがり、会話が続きにくいこともあって、
きっと、母は、もっと別の話をしたくて電話をくれるのに、
私は、毎度毎度、「母の体調を気遣う気持ち」ばかり押し付けていたのかもなぁ・・・と、
篠原信さんの note を読んで気づきました。




「弟」くんとネコみたいに、
与える側は「愛情」だと信じているものが、
受ける側にとっては、「迷惑」だったり「余計なお世話」だったりすることがある・・・
愛することは難しいです+_+;




昨夜、反省しつつ、これからのことを考えていて、
一つ妙案を思いつきました。


母の折々の気持ち・・・「伝えたいこと」「話したいこと」「やってみたいこと」「欲しいもの」「食べたいもの」など・・・を記入してもらうノートをプレゼントすることにしました。


***
たぶん、ネコは自分の感情や状況をきちんと把握し、それに応じた対応をしてほしかったのだのだろう。
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電話で、「話したいことがあったんだけど、忘れちゃった。」と言われることも多くなったので、
今後は、忘れないうちにノートに記してもらって、
母にノートを見てもらいながら、母の話したいことを中心に会話できるといいな・・・と思います。





・・・今朝の桜とレンギョウとサクランボ。

雨が止んでウォーキングしようと戸外に出たら、桜吹雪が舞っていました。
湿ったアスファルトには、花びらの絨毯ができあがりつつあります。


こちらは、我が家のジャングルに自生^^;しているレンギョウ。
今年も健気に開花してくれました。

そして、左上に写っているサクランボの枝には、
緑色のサクランボの実が・・・



豊作の予感です^^


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