私が何とかする!って言える人。
先日、以前ブログでもご紹介した小料理屋さんで食事をしていたら、
カウンターの向こうでパリーン!という音がしました。
女将が大切にしていた自分用のお猪口を片付けようとして、手が滑ったらしく、
「あぁ・・割っちゃった・・ 」としょんぼりしていたので、
「大丈夫。私が直してあげる。金継ぎ習ってるから!」
と声をかけたら、
「ほんと? ほんとに直る? 嬉しい!」
と子供みたいに喜んでくれました^^
誰かが困っている時、悲しんでいる時に、
「大丈夫!私が何とかする。」って言えることって、
困り、悲しんでいる当事者のみならず、「何とかする!」って言える自分にとっても嬉しいことです。
「物」っていつか朽ちてしまいます。でも、そこがいいんです。だから、今ここにあるものが貴重だと思えるし、「はかなさ」を含んでいるからこそ、「愛しい」って感じるんじゃないかな。それって、人もそうですよね。
これは、「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されていた ぬいぐるみ作家さんの言葉です。
パリーンと割れた器は、その「はかなさ」ゆえに、いっそう大切なものだった・・って思えるし、
「はかなさ」ゆえに、人を「愛しく思う」気持ちも真実なのだけど、
人として生まれた限りは、一日も長く、「任せて!私が何とかする!」って言える「はかなさ」とは対極にいる自分でいたいと、強く強く思います。(特にこの頃。)
昨日、随分長くご無沙汰してしまった友人から便りがありました。
ご主人様が病に伏され、大変な毎日を送られていた様子で、それでも、文末には、
「私はたくましく生きてます!」との言葉がありました。
熱い思いが込み上げて、その場で拍手しました。
そして、私も、彼女を見習って、この先何が起ころうと、「たくましく生きる」心意気を失わずにいようと思いました。
『医療は「生きる方法」を与えることはできるけど、「生きる意味」を与えてくれるのは、人間の真剣な生き様であろう』
二重作拓也医師のポストより
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