頑張ったね。ありがとう。
1月10日の夕刻、母の容態が急変し、
22時7分に亡くなりました。
「毎朝、パパが、『そろそろ、こっちへ来たらどうだね。』と言うけど、私は、『いえいえ、まだこちらでしたいことがありますよ。』と断ってる。」と言っていた母が、
「そうね。」と承諾して、父と弟が迎えに来てくれたのだろうと思います。
緊急搬送された病院で、最期を看取ってくれた医師から、
「心臓が、もう血液を送ることをやめよう・・と決めたみたいに、トン、トン、トンと、血圧が下がって行きました。死因は【老衰】です。」
と説明を受けて、
いくつもの病を抱えていながら、最後は【老衰】による寿命で88年の人生の幕を閉じた母を、「お疲れ様。頑張ったねぇ・・・」と、抱きしめて、何度も頭を撫でました。
母は、生まれたばかりの赤ん坊みたいな穏やかな顔をしていました。
通夜の晩は、父と亡くなった弟の遺影とともに、私と弟で母の棺の傍に座って、
翌朝の葬儀の準備が始まるまで、
ずーーーーーーっと、父のこと、亡き弟のこと、母のことを語り尽くしました。
私が知らなかった父や母や亡き弟のエピソードも沢山あって、泣いたり笑ったりしながら、あっという間に夜が明けました。
葬儀の後、荼毘にふされた母は、孫娘が抱っこできるほど小さくなって、
春から母と暮らす予定だったマンションに戻ってきました。
お仏壇横に設置した中陰壇には、父、弟の遺影とともに、長女のお婿さんが作ってくれた想い出のパネルを飾りました。
母が死去する3日前に、空路母を見舞ってくれた三女の婚約者Y介くんも、通夜からずっと滞在してくれて、
母が入居していた施設の後片付け、孫たちの遊び相手、買い出し係など、
入籍前から、いっぺんに家族の一員になって動いてくれました。
母が文字通り、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた三人の孫娘全員が、
人生の伴侶を見つけたことで、母の中に一つ区切りがついたのかも知れません。
私自身は、これから、葬儀にお気持ちを寄せて下さった皆様へのお礼や、
四十九日の準備や、もろもろの手続き、書類関係の整理など、やるべきことが山積みで、
今はまだ、気を張っている状態ですが、
一方、今の自宅から新居への転居準備は、引き続き行う必要があり、
「新居で母と暮らす日々」がなくなった今、
どこかで心のバランスが崩れないよう、ちゃんと、この先の人生設計を組み立てなおす機会を持とうと思っています。
母の棺が火の中に進んで行った時、気持ちが砕けてしまいそうになった視線を受け留めてくれた長女が駆け寄って、ぎゅっと抱きしめて、
「大丈夫。大丈夫だよ。ちゃんとパパと○○○君(←亡くなった弟です)が迎えに来てくれてるから、恐くないよ。」と言ってくれました。
その後落ち着くまで、次女と三女と三人で、寄り添ってくれました。
とても心強かったです。
母も、きっと、私が傍にいることを心強く感じていてくれたに違いない、と、今は思えます。
「役立たず」じゃなくて、少しは役に立てたのかも・・って。
そう思えたことも嬉しかったです。
母を失ったことは、つらく、寂しく、苦しいことですが、
でも、今一度、生きていくことを大切にしよう、大切な人たちを大切にしていこう、と気づかせてくれました。
そして、母を失ったタイミングで、我が家にお目出度いご縁ができたように、
母が渡してくれたバトンを受け取った私たちも、次の世代、次の世代へと、順繰りにバトンを渡していくのだなぁ・・ということを、改めて思いました。
ゆづり葉
河井酔茗
子供たちよ。
これは譲
り葉
の木です。
この譲
り葉
は
新
しい葉が出来ると
入
れ代
つてふるい葉が落ちてしまふのです。
こんなに厚
い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作
に落ちる
新しい葉にいのちを譲
つて――。
子供たちよ。
お前たちは何を欲
しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲
られるのです。
太陽の廻
るかぎり
譲られるものは絶
えません。
輝
ける大都会
も
そつくりお前たちが譲
り受けるのです。
読みきれないほどの書物
も
みんなお前たちの手に受取
るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小
さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲
つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造
つてゐます。
今、お前たちは気が附
かないけれど
ひとりでにいのちは延
びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附
いてきます。
そしたら子供たちよ
もう一度
譲
り葉
の木の下
に立つて
譲り葉を見る時が来
るでせう。
ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
↓
にほんブログ村