夢中

夢中










子供の頃は、色んなことに夢中になれたのに、



大人になるにつれ、「無心に時を過ごす」ってことが難しくなったのは、
心の中に「邪念」が増えてきたせいなのかな・・って、ボンヤリ思ってました。




面白そうだな・・って興味をそそられたとしても、


「こんなことしてる場合じゃないよ・・」って、その後に控えてる「やるべきこと」が頭をよぎったり、


「こんなことしてたら、明日は筋肉痛だよね・・・」とか、「これ続けてると、明日の朝は睡眠不足になるよね・・・」って、その後の反動みたいなことを予測しちゃったり・・・


そういう邪念が邪魔をするのかな・・・って。




でも、どうやらそういうことよりも、
「自分という存在」を消し去ることが難しくなったことが、「夢中になれない」一番の原因らしく、


大人になればなるほど、「なーーーんにも考えず、心を無にしてその場を楽しむ」ことが不得手になるようなのです。



「子供は風の子」っていう言葉があるように、
戸外で走りまわって遊んでいる子供たちは、まるで風のように、周囲の景色に溶け込んでしまうけれど、


同じことを大人がやったとすると、どうしても、個々の個性が炙り出されるというか^^;、
何かそこに「自分らしさ」が滲み出てしまいそうですよね💦(頭で考えて行動しちゃうから。)

それは、人として成長した証ではあるのだけど、



でも、「無になれる」って、本当は、とっても気持ち良いことですよね。(でしたよね^^)



夢中がなぜ人を癒すのか。
それは一瞬でも自我を忘れ、無意識の世界に身を浸すことができるからです。

元陸上選手でスポーツコメンテーターの為末大さんのポストより






他の誰でもない「私」が今ここにいる。って感覚は、とても大切な感覚だけど、
「我を忘れる時を過ごす」こともまた、心の健康を守るために欠かせない感覚のように思います。




ひたすら泳ぐ・・・とか、思い切り歌う・・・とか、推しのライブに酔いしれる・・・とか、
水平線に沈む夕日をぼーっと眺める・・・とか・・・




私が20年ぶりに歌うことを再開したのも、
初めてフラダンスに挑戦することにしたのも、
「夢中になれる時間」をキープしたかったことも大きな動機だったのかも知れません。




↓20年前の引退(?^^)直前のライブの様子です。
あの頃は、無我夢中が度を超して、自分の体力まで追い込んでしまったけれど、
今度は、年の功で^^、上手に夢の中を浮遊したいと思います♪





※昨日のブログ記事「欠けたものどうし。」にご感想のメールを下さった読者様。
ありがとうございます。
皆様それぞれの大切なお気持ちを伝えて下さったことに感謝いたします。

ご主人様、ご両親様を続けて看取られた年長の友人Y子さんに、初めて亡き母のことを話した際に、「同じよ。あなたも私も。皆同じよ。」と抱きしめてくれました。
人は皆「欠けたものどうし」だと思うと、それだけで、手を携えたくなります。
一度きりの有限の生を生きる私達に、神様が授けて下さった救心剤なのだと思います。

お一人お一人にお返事をしたいので、今しばらくお時間を下さいm(_”_)m



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