残念なこと

7月16日
今日も暑い。
母が生前仲良くしていただいた方が届けて下さった手作り梅シロップを強炭酸で割って、少しずついただいている。
(お仏壇には初日だけ梅ジュースにしてお供えして、その後は私が代表して^^;飲んでいる)


俳句の会の先輩が、「梅のシロップ飲んでると夏バテしないわよ。」と教えて下さった。
だから、今年の猛暑も乗り切れるはず♪
我が身を振り返ってみると、
「正しくない」とわかっていながら、そうするしかなくて、アウトロー?不良?な生き方をしていたころがあった。
「若気の至り」って言葉ができたのは、
きっと、多くの人たちが、そういう時期を過ごした自覚があるからだろう。
だから、若い人の向こう見ずや、荒くれた言動に対しては、
私たちは、己への反省の意味も込めて💦、まぁまぁ鷹揚だ。
けれど、同世代に対しては、
長く生きてきた同胞として、「ちゃんとしてよ」「しっかりしなさいよ」みたいな仲間意識も加わって、
手厳しくなってしまうような気がする。
正しく生きるより 壊れずに生きることを優先したっていいんだ
~~~精神科医・藤野智哉先生のXポストより~~~
正しく生きられるなら、それは素晴らしいことだけれど、
老いも若きも同じく、
そうは生きられない事情があるのかも知れない・・・
そういう時、一昔前なら、
「ちょっと行って話聞いてくらぁ!」と、村の長老が^^;、直接話をしに行って、
「それはよくないよ。」とか「そういうことだったのか。」とか、
説教したり、納得したりすることで、事態を収めていたのだろうけれど、
インターネット越しの繋がりが生まれた今は、
なにがなんだかわからないまま、有耶無耶のままになってしまうことがデフォだ。
サルやチンパンジーは、互いに毛づくろいをすることで、仲間との絆を確かめ合う。
だが、群れが大きくなると、一頭ずつ毛づくろいをしていては時間が足りない。そこで人間は、「言葉による毛づくろい」――おしゃべりを手に入れたのではないか?
もし、この仮説が正しいなら、「人のことを言う」という行為は、人間が大きな群れを維持するために手に入れた、ごく基本的な機能ということになる。
私たちは、誰かの話をすることで、つながっている。
~~~格闘技ドクター・二重作拓也先生のnoteより抜粋~~~
私たちの世界にインターネットが入り込んだことで、
そこにあるはずの「つながり」を意識することは難しくなった。
けれど、
相手の体温を感じる毛づくろいのようなおしゃべりを本当はしたいのだと思う。
「いったいぜんたい、なんであんなことしたの?」
「ごめんね。あの時はああするしかなかったの><」
と、腹を割って話しさえすれば、解決できることが沢山ある気がする。
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