自分の つらさ を認める。
今朝は冷えるけれど、でも、お天気は晴れ。
体調も良い。
もう、それだけで上出来だとわかっている。
それだけで十分幸せ。
そう思えることは、「良く生きる」土壌ともなるけれど、
もう一歩進んでしまって、
だから、「つらい」なんて思う私はどうかしてる・・・と、
そんな風に考える癖、ついていませんか?
「私のつらさなんて、たかが知れている。世の中には大変な悲劇を背負って生きている人が沢山いるのに・・」
と、自分のつらさを無かったことにしてしまう癖がつくと、
「自分への幸せのゴリ押し」が生じてしまいます。(私は危ないところでした💦^^;)
私たち一人一人に起こる喜怒哀楽は、私たち独自のもので、
例えば同じスープを飲んで、
「丁度良い温度だ。」と感じる人がいる一方、猫舌の私には熱過ぎなのと同様に、
私が「熱い」と思えば「熱い」が真実で、私が「つらい」と感じれば「つらい」が真実なのです。
以前、「私は大木のように揺るがぬ人でいたい」と記したことがあります。
新年あけて、今は、
ちゃんと「つらさ」を認めた上で、時には「つらさ」が起こす強風に、
「揺れたり、凹んだり、折れることがあっても、しぶとく復活していく人でいたい」
と思います。
「強くなんかない。しぶといだけだ。」とモネジジが評した亀島の人達みたいに。
・・・私のウォーキングコースに、年配のお母様とご子息お二人で営んでいらっしゃる和菓子屋さんがあります。
小さな木製のショーケースに、季節の和菓子が並べられていて、
(夫は和菓子を食べないので)時々立ち寄って、いつも1つだけ、自分用に購入します。
昨日は、奮発して^^3つ買いました。
はなびら餅と、やぶれ椿と、いちご大福。
眺めているだけでも、「初春~・・・」な気分に包まれます^^
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