「善意」は取り扱い注意。
以前、戦禍のウクライナへ折り鶴を届けようとする行為について、
・千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である。』
・『良い事をしてる私の気持ちが大事!』という、相手の状況よりも自己満足を優先している。
・処理に困るものを送るのは、相手が欲しいのか確認してからにすべき。
・ウクライナの人が本当に必要としているのは、折り鶴なのか、それとも食糧だったり、金銭を必要としてるのかを考えたら答は自明。
などの様々な反対意見が出され、話題になりました。
今朝、読んだ note は、『善意に殺される』という題名で、
仙台市にあるカフェのオーナーが記されたものでした。
「大好きなお店です。」と、お店を気に入って下さったお客様が、500円のコーヒー一杯で、ラストオーダーをまたいで2~3時間過ごす・・・・という状況を指して、
「こういうお客様ばかりになったらお店はどうでしょうか。おそらく、肉体的にも、金銭的にも体力を失って倒れてしまいます。」と、嘆いていらっしゃいました。
折り鶴の一件も、カフェでのお客様の場合も、どちらも、
そこに【悪意】がないだけに、
「それは迷惑な行為です」と言ってしまうと、言ってしまった方が「人の心を踏みにじる人」としての罪悪感を引き受ける結果になりかねません💦
つまり、例え、純粋な【善意】からスタートしたとしても、
【善意】を伝えたい・・と行った行為が、
伝え方を間違えることで、相手に迷惑をかけたり、負担を強いる結果となる・・・という悲劇を生んでしまうことがあるのです。
この過ち・・犯しがちだなぁ・・と思います><
相手は迷惑そうなのに、
「あなたのためを思ってしたのに・・」とか、「良かれと思ってしたのに・・」とか、
まるで、水戸黄門の印籠のように、【善意】をチラつかせることで、
自分の思いを押し付けようとしてしまう行為。
自分のことを振り返っても、印籠チラつかせてる本人は、「これは、間違いなく相手にも喜ばれることだから押し通さなきゃ・・」と、勝手に判断してるから、余計にややこしいんですよね💦
「自分が良いことをしている」という自覚がある時って、なんだか自分の心が浄化されているような、神聖な悦びを感じる分、そこに酔ってしまって、広く、周囲や相手の状況までを俯瞰する冷静さを欠いてしまいがちなのだと思います。
「私は今、とても純粋に【善意】の気持ちで動いている・・・」と、感じるときこそ、
自分の理性を最大限に働かせて、周囲を見回し、情報分析する冷静さが必要なのでしょうね^^;
・・・冷製パスタ♪
真夏日だった昨日は、目が覚めた瞬間から(!)「今日は絶対冷製パスタを食べる!」と決めていました。笑
それも、「トマトとアボカドがゴロゴロ入った冷製パスタ」です♪
ということで^^、昨日のランチは、冷製パスタとサラダでした。
パスタは、本当はカッペリーニにしたかったのですが、在庫処分で^^;1.6mmのものを使いました。
茹でた後、氷水で締めています。
ソースは、オリーブオイル・塩・チューブニンニク・レモン汁・ツナ缶・ざく切りのトマトとアボカドを混ぜ、予め冷蔵庫で冷やしておきます。(混ぜた後、味見して、塩加減など調整します。)
盛り付けた後、黒コショウをふって完成♪
暑くて食欲減退気味の日にも、モリモリ食べれる一品です^^
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