繋がって自立する。

繋がって自立する。













23日の秋分の日に、ここ数年会っていない友人宅を訪問する予定です。

積もる話がありすぎて、どこから語る?^^;という感じですが、とても楽しみです。




昨日は、友人へのお土産品準備で夫と外出したついでにコストコに立ち寄り、
お買い得ワインと、大袋入りのお煎餅と、シンガポールラクサとジャーマンポテトサラダを買いました。





具沢山のシンガポールラクサは、旨味たっぷりの濃厚なスープで、とても美味しかったです♪
じゃがいも好きの夫は、山盛りにしたジャーマンポテトサラダをスプーンで食べてました^^;








ここ最近、海外のブログ読者様から、続けてメールを頂戴する機会がありました。


私が自宅のノートパソコンに書き込む呟きが、
海を渡り、遠く地球の反対側でも受け留めて下さるかたがいることを、とても嬉しく思います。





H.S.クシュナー著の『なぜ私だけが苦しむのか』では、

古来、宗教の役割は、
【同じ思いを持つ人を、祈りにより繋ぐこと】であった、と解説されています。





確かに、インターネットのない時代に、
一人不安を抱えている時に、
「さぁ、ここに来て祈りなさい。ここには、あなたと同じ悩みを持つ人たちがいますよ。」
と声をかけられたら、嬉しくて、飛び込んだことだろうと思います。






私が初めて、インターネットの世界を知ったのは、30代後半で、
その時、最初に、ネットを通じて言葉を交わしたのは、『今夜宇宙の片隅で』というタイトルの掲示板上だったと記憶しています。





それまでは、誰の目に留まることもなかった、宇宙の片隅の、そのまた片隅の^^;、塵(ちり)にも満たない小さな自分の呟きが、「誰かに繋がる」ことが、夢のようでした。




「私はここにいるよ」と、同胞を求めて放つ言葉が、
同じ言葉を求める人のもとへ届き、

「私もここにいるよ」と、返信をもらえたときの喜びは、


今思うと、宗教による救いと似た感覚だったのかも知れません。





その後、プライベートも仕事も多忙を極め、
インターネット越しのやり取りからは遠ざかりましたが、




ブログを始めたことがきっかけで、
再度、同じ思いを抱く人々と「繋がる」幸運が巡ってきました。






かつて、私は、
【自立】は、自分の両足がしっかりしていれば叶うものだと信じていました。
でも、それは若気の至り。

真の【自立】は、たくさんの「繋がり」を持ち、繋がったもの同士が、互いに支え合うことで成り立つもの・・・だと、今は思います。





繋がりながら、自立する私達。


を実現させるために、加齢とともに先細って閉じていくのではなく、
繋がる誰かに手を伸ばし、広げて、行きましょうね。




※近いうちに、こちらのブログに掲示板を併設しようと思っています。
 互いの声が行き来し、繋がっていくことを願って♪



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