初めて知ったこと。

初めて知ったこと。











先日のブログ記事でも触れた「過去帳」のこと。




先月は、引っ越し後の荷ほどきに終われ、月日のことしか見てなかったのですが、
今月になって、没年まで辿って確認するようになって、初めて知ったことがありました。





今日は、父方の祖父の月命日で、実際の没年月日は、昭和20年7月4日です。
45歳の時でした。
第二次世界大戦が終わる、2か月前。

祖父は、薬剤師で、戦艦に乗っていて、撃沈されたと聞いています。




そして、祖父が亡くなった1か月後の昭和20年8月3日に、父の弟であり、私の叔父にあたる吉彦さんが、3歳で亡くなっています。




また、それより4年前の昭和16年4月2日に、やはり父の弟であり、私の叔父にあたる慶三さんが、5歳で亡くなっています。





祖母は、4年の間に、二人の我が子と夫を失い、
終戦の年には、夫の訃報を聞いた翌月、子供を亡くしたことになります。





生前の父から、子供の頃、幼い弟が亡くなり、自分は何もできなかった。
そのことが、つらくて、悔しくて、医者になろうと思った・・・と、聞いたことがありましたが、
詳しい状況などはわからず、また、叔父さん二人の名前も、過去帳を見るようになるまで知りませんでした💦





今朝、祖父の遺影と祖母の遺影を並べて飾り、

「おばあちゃん、つらかったねぇ。」と語りかけました。






私が子供の頃、長年患ったリウマチのせいで床に伏していた祖母から、
「〇〇ちゃん、背中にキンカン塗って。」と、頼まれるのが日課で、
浴衣を半身脱がせて、背中全体に、♪キンカン塗って、また塗って~♪と、キンカンを塗ってあげながら、ぽつぽつお喋りしていたのですが、

祖母の口から、祖父のことも、叔父たちのことも、聞いたことはありませんでした。






45歳の若さで、家族を残し海に沈んだ祖父は、どんな思いだっただろう。
子供を抱え、残された祖母は、どんな思いだっただろう。

そして、父は、今私が感じている胸が詰まるような思いを抱えて大人になったんだろうなぁ・・


人に歴史あり・・・と言いますけれど、
皆、語ることのないまま、それぞれの人生を、壮絶な覚悟で生き抜いたのですよね・・・




一度も会ったことがなくて、今まで遺影を眺めていても、正直、語り掛ける言葉を持たなかった祖父にも、今朝は、心から「おじいちゃん、お勤めご苦労様でした。」と伝えました。




時々、NHKの「ファミリーヒストリー」という番組を観るのですけど、
ほんの少しの紐解きに過ぎないけれど、
私のファミリーヒストリーの一端を知ることができて良かった。





今、歳をとって、成長(?^^)したな・・と思うことは、
平々凡々、波風のない人生を歩む人なんて、一人もいない。
ってことに気付けたことです。

たとえ傍からはそう見える人も、語らないだけ。あるいは、私が知らないだけ。



生きるってことは、満身創痍になりながら、それでも、今日を楽しみ、明日に希望をつないでいこうとする試みだと、今は思います。



だから、涙が出るほど、それぞれの人生を尊く感じます。



ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。
  ↓

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村