どんなに近くても。

どんなに近くても。
















先週、母の遺品を整理していて、
父の「遺書」を見つけました。






父が亡くなるずっと前、最初の体の異変を自分で感じた時に、
万が一に備えて書いたもののようでした。






父は寡黙な人でしたので、いわゆる「心の内」の言葉を聞いたことはありませんでした。







仕事から戻ると、黙って食事をして、そのまま書斎にこもる毎日だったので、
父が大好きだった私は、食後、父の書斎に行って、机に向かう父の背中を見ながら、
ソファーに寝っ転がって、父の書棚から、子供の私には難解な本を引っ張り出して、読むふり?をして過ごしました^^;





あの頃、父が一体何を考えているのか・・・なんて思ったこともなかった。






けれど、当時の父は、おそらく既に、自分の余生を予見していて、


遺書には、
残された時間の中で、成し得ずに終えてしまうであろういくつかのことへの無念と謝罪が記されていました。



そして、母と結婚して間もなく、奨学金の返済を免除してもらう代わりに派遣された無医村で、
私が生まれ、自然の中で過ごした数年間は、「特別に幸せな日々でした」と綴られていました。






子供は、親の気持ちを察するものだ・・って言いますけど、

私は、毎日傍にいた大好きな父が、あの頃一人抱えていた葛藤を、みじんも感じとることはできませんでした。







今朝、とても早い時間に一度目が覚めてしまって、noteを読んでいたら、
B’z の【イチブトゼンブ】の動画がシェアされていました。




B’zファンのかたには本当に申し訳ないのですが、世代が少しずれていることもあり、これまで B’z の曲をちゃんと聴いたことがありませんでした。




でも、今朝聴いた【イチブトゼンブ】は、まるで福音のように、私の中に入ってきました。




君にしかわからないこと 僕だけが見えていること
どれもホントのこと

すべて何かのイチブってことに 僕らは気づかない

全て知るのは到底無理なのに、僕らはどうして
あくまでなんでも征服したがる カンペキ追い求め

愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに
それでいいのに









目に見えているものは、全て、何かのイチブ。



例え、家族であっても、どんなに近い間柄でも、
全てを把握することは不可能で、

互いに、見えているイチブに縋り、身を寄せ合っているのですよね・・・






相手のことを、もっと知りたい、もっと教えて・・と思うことは、素敵なことだけど、
度を過ぎて、「全て知りたい病」を発症してしまうと💦
「知り尽くせないジレンマ」で病んでしまう・・・




だから、イチブの中に、「愛しぬけるポイント」が見つけられたなら、
それを何より大切にすれば良いのだと思いました。





今、私の中には、子供の頃の記憶に残る父と、当時、遺書を書いた父の、二人の父が、パラレルワールドのように存在しています。



見上げると、優しい笑顔で見下ろしてくれた父と、
机に向かっていた背中を、父より年上になった私が、抱きしめてあげたい父です。




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