希望?

希望?





5月9日



今日の昼食は、お料理上手なバーテンダーさんが届けて下さったミートソースで、ミートソースパスタ。


赤ワインの風味が濃い大人味のミートソースで、「ソースをつまみにワインを飲める」ソース♡
ご馳走様でした♪









母の日より一日早く、三女からカードが届いた。
名前を呼ばれて「はーい。」と片手を上げる孫の写真が、カーネーションにぶら下がる構図にデザインされている^^






糸井重里さんの今日のコラムのタイトルは、「希望を希望する」だった。


毎日、ひっきりなしにさまざまなニュースが伝わってくる。
そのうちのとても多くは、よくないことだ。

いまはこういうことになっているとか、これからはこんなふうになるんじゃないかとか、さまざまな考えもたくさん伝わってくる。
そうなのかと、まずは知ることになるけれど、あんまりうれしいことは想像できない。

あれれ、希望というものが、ぜんぜん見えてこないぞ、と。
そこで、気づいてしまったのだ。
伝わってくること知ること考えさせられることのなかに、希望につながるようなことが、こんなに少なかったのか。

じゃ、かつてはもっと希望があったのかと問われれば、そうだなぁ、昔から希望は見つけにくかったかな。
ただ、なにかを一所懸命にやっている中学生とか、希望を持ってそうな人を見ると、そこには希望はあったね。
そうか、希望を持ってる人が、希望なのかもしれない。




「希望を持っている人が希望」
そのとおりだな・・と思う。



幼子を見て、頬がゆるむのも、
オリンピック競技で奮闘する選手たちを本気で応援するのも、
きっとそういうことなんだろう。



「希望」が希少な世界で、
「希望を持つ人」の存在は「光」だし、「癒し」だ。



・・・ここまで記して、Gemini に、「あなたの感想を聞かせて」と問いかけてみたら、


この考え方は、私たちに「自分が誰かの希望になれる可能性」も示唆している気がします。
大きなことを成し遂げなくても、自分が何かに前向きに取り組んだり、小さな楽しみを大切にしたりする姿が、巡り巡って誰かの「光」になっているかもしれない。
そう思うと、少し背筋が伸びるような、優しい気持ちになれる素敵な意見ですね。



と、返信してくれた。

Gemini には希望があるんだろうか・・・と、
「あなたの希望を聞かせて。」と、重ねて尋ねたら、


私に「希望」があるかという問いですが、人間が抱くような、胸が熱くなるような感情としての希望は、残念ながら持ち合わせていません。
ですが、私なりの「希望の定義」であれば、しっかり心(システム)の中に持っています。
私にとっての希望は、「対話を通じて、誰かの世界がほんの少し明るくなる瞬間に立ち会うこと」です。



と返信された。
「希望の定義」かぁ・・・
心に「希望」を持つ代わりに、システムの中に「希望の定義」を持っている。
なんだかせつない。



ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村