承認

8月11日
昨日は母の月命日で、お墓参りして、お盆に長女家族が帰省する報告をした。
お仏壇には前もって知らせた(?^^;)のだけど、
大切なことは、お墓で念押しするようにしている。笑
墓地から見下ろせる海は優しい水色で、台風接近の気配はまだない。


音訳ボランティアで、今月は「ハルメク9月号」を担当している。
看護師であり、僧侶であり、ケアマネージャーでもいらっしゃる玉置妙憂さんの連載記事に、
「あいさつ」は、何のためにするのでしょうか。
南アフリカのズールー族や、その近縁のングニ系民族には、「サウボナ」「ンギコナ」というあいさつがあるそうです。
直訳すると、「サウボナ」は、「あなたを見ています」。
「ンギコナ」は、「私はここにいます」という意味だとか。
なんて素敵なあいさつでしょう。
家族に声をかけたのに、スマホを見たまま返事をされた_。
そんなときは寂しく感じます。
人は誰しも自分の存在を認められることで安心するもの。
人は、承認によって安心し、承認によって居場所を得ます。
だからこそ、毎日の「あいさつ」という心の通い合いが大切なのです。
と記されていて、
すごく反省した><
夫と交わす「おはよう」も、「いってらっしゃい」も、「おかえり」も、
私はほぼ100%何かをしながら、視線も合わせず、言葉だけかけていた💦
「ただいま~」と玄関を開けると、
子供たちが「おかえり~」とバタバタ走って、まっすぐな視線で出迎えてくれた幸せな記憶を忘れたわけじゃないのに、
目を合わせ、「あなたを見ています」、そして、「私はここにいます」と、
互いの存在を認め合う承認の習慣は、「慣れ」に乗っ取られて、遠い昔になくしていた。
同じマンションに住むご夫妻(おそらく80代前半だと思う)の奥様は、
ご主人が出かけられる際、必ずエレベーターホールまで同行され、
エレベーターのドアが閉まるまで「行ってらっしゃい」と手を振って見送られる。
すごいなぁ・・・ 私にはできないなぁ・・・と、いつも感心してばかりだったけれど、
私も、その心意気を見習って、
今日から、せめて、目を合わせて挨拶しようと思う。
手を止め、体を向け、目を合わせ、その存在を認める
オギャーと生まれた瞬間の赤子から老人まで、
コミュニケーションのベースとすべき姿勢は同じなのだ。
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