最後とは知らぬ最後

最後とは知らぬ最後





6月28日




昨日は父の月命日で、今日は弟の月命日。
二日続くので、どちらかの日にお墓参りするようにしていて、
今月は昨日行ってきた。





帰り道、回り道して、海岸を散歩した。





帰宅して、夕食の準備をしていたら、
優しい色の夕焼けが始まり、
暗くなると、細い細い三日月が顔を出した。





以前は、移動の車中では音楽を聴くことが多かったけれど、
この頃は、大抵夫が話している。



昨日は、日本語の特徴でもある助数詞について、
「全てのモノの数え方が決まってるなんて、一見効率悪く思うだろうけど、実は、船が一隻(せき)って言った時と、船が一艘(そう)って言った時で、その船の大きさまで想像できて、いちいち船の形状を説明する必要がないから、めちゃめちゃ効率的な言葉でもあって・・・」
みたいな話を熱く(笑)語ってくれた。



最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て


~~~俵万智さんの短歌~~~




この歌を最初に目にした時には、
自分の子育て期を振り返り、涙してしまったけれど、



「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく」のは、
子育てに限らず、

生きとし生けるものが持つ宿命なのだと思う。



最後だとは思わないまま最後を見送ってしまった体験が重なるにつれ、
きっと、人は臆病になる。


もしかしたら、これが最後かも・・
気付かないまま見送ってしまったと後悔するのはもう嫌だ・・


と、だんだん慎重になる。




お墓の掃除をして、海岸を歩き、夫の蘊蓄(うんちく)を聴いて^^;、綺麗な夕焼けと三日月を観た昨日のことも、
私は忘れない。



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