気づかれない贈与。

気づかれない贈与。






近内悠太さん著の「世界は贈与でできている」は、
「お金で買えないもの=贈与」が果たす役割について書かれたビジネス書です。

ちょっと堅苦しいイメージがありますが、主旨はとても単純明快。

ギブ&テイクの「交換」ではなく、「贈与する(与える)」ことで、初めて「信頼」は生まれるのだ・・という定理が説かれています。

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相手に何かをしてほしかったら、対価を差し出すしかない。
「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」というギブ&テイクの世界には、信頼関係が存在しない。
そこでは、他者はあくまでも手段でしかない。
裏を返せば、信頼は贈与の中からしか生じないのだ。
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なんらかのサービスを受けるためには、対価としてお金を支払う・・・そんな経済の流れを主軸にしてしまうと、心がすさんでくるのは、そこに「信頼」という安心できる領域が存在しないせいなのだと、すごく合点がいきました。


そして、とても大切なこと・・・
「贈与」は受け取った時点でバレてしまっては意味がないのだということ。
受け取った時点でバレてしまうと、受取人は「返礼しなければ!」という義務感にかられ、
返礼してしまうと、それは単なる交換になってしまいますし、
もし受取人が何も交換するものを持っていなければ、受取人は返礼できずにいることの重荷を背負おってしまうからです。



この「贈与を受け取ったことがバレない」仕組みの一端は、私たちのDNAの中に組み込まれているような気がします。

私が子供の頃には、親から与えられた「贈与」に全く気づけませんでした。
親からの庇護が必要な幼少期には、「贈与」は当たり前のものとしてスルーされてしまう仕組みが働いているのに違いありません。


けれど、父を亡くし、母が老いて、自らもシニア世代の入り口に立った今は、「いっぱいもらったなぁ・・ もらってばかりだったなぁ・・・」という思いで押しつぶされそうなほどです。

既に鬼籍に入った父に対しては、もうお返しのしようがない・・とあきらめの境地ですが、
肺の病に伏せ、コロナ禍での隔離が必須な母に対しては、特に希望が見え始めたところでのオミクロン第六波の広がりで、罪悪感に近い思いを抱いていました。


でも、自分を親の立場に置いてみた時、果たして娘たちから「贈与のお返し」を欲しいと思うのか?と自問すると、全く不要だと即答できます。
「ギブ&テイクじゃないんだからさ~・・・」な気持ちです。


読後、
そーなんだ!と暗雲が払しょくされました。
返してないからこそ、私の心の中には、いっぱいの信頼残高が残されている・・・
そして、もし、娘たちの心に信頼残高を残すことのできる生涯を送れたら、それはとびきり幸せな生涯だと思えます。



・・・チュモッパむすびのお弁当。

こちらのブログでは初めてのお弁当画像です。
夫にお弁当を作るついでに、自分用にも作るようにしていたのですけれど、
この頃は、自分の昼食は、お弁当箱に詰めず、お皿に盛る・・・がデフォになっているためです。(なぜなら、その方が簡単に洗えるから^^;)

画像は先週木曜日のお弁当。
チュモッパむすびをカッコ良く(?)撮りたくて、お弁当箱に詰めました^^
チュモッパは韓国おにぎりです。
KALDIでチュモッパの素を買って作ってみました。
沢庵の甘しょっぱさと、ごま油の香りの美味しいおにぎりです。
チュモッパの素で本場の味を学習したので、次回からは身近な食材で再現できそうです♪

右側手前に詰めているのは、白菜と油揚げと鰹節の炒り煮。
奥は、前夜の残りのササミカツに、同じくKALDIで購入したシラチャーソースをトッピングしたものです。
シラチャーソースはタイ王国のシーラーチャー郡に由来するとされるチリソースです。
お料理上手なブロガーさん(ぺこりーのさん)が頻繁に利用されていて、「美味しいに違いない!」と購入しました。大正解でした^^





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